「なぜ食いたい? 必要ないだろう? なぜ食いたい? 必要ないだろう!」by平田広明

チラシの裏

2ndGIG第二話の、ギノ君状態です。
嫌悪感を抱くというほどではないが、食事という行為自体は避けたい。
でも、例えば「カレーライスが食べたい」という気持ちはあります。
この場合、空腹を押さえるために・食欲を満たすためにカレーを食べるのではなく、カレーという概念(笑)に触れる事そのものに魅力を感じているのであって、栄養の摂取だとか、そういう細かい理由を見いだすことができません。
以前は、これのせいで、腹いっぱいなのにさらに食いたいとかってなってたけど、最近は、食いたくないのに、パワー丼とかビーフンとかの料理に惹かれます。言葉にし難い。もしかしたら単なる自己嫌悪の一種かもしれません。
食い過ぎは精神的な何かだと思ってたけど、今の状態もちょっとした病みなんじゃないかと。

明晰夢見ようとして夢日記書くのは辛いから、夢を反芻するくらいはしてたんだけど、そしたらこんな精神状態になりました。
友達に夢日記やると狂うらしいって言われたので、自分が狂い始めたんじゃないかと思い込み。プラシーボ効果とはまた違うけど、結構仮病使うと本当に病気になったりしてたからなあ。
っていう妄想まで含めてパラノイアってかっこいいねとか言ってると、思考のループに嵌ります。

要約すると、ダイエットしてえ。



ところで、ギノの話って、テーマはまぁ現実に不満をもった極一般的な男の妄想だったけど、その中の食事に関しては、結構深い話だったと思う。
ギノの義体化率は正確には分からないけど、彼の周囲の食事行為への嫌悪は、義体化したことで、食欲も味覚も紛い物であるのが原因だと思う。彼自身の内臓が義体化されてるのかは分からないが、仮にそうだとするなら、サイボーグ食の拒絶等は納得がいく。
しかし、その場合、彼が性器を失っていても性欲には従順であるのと矛盾してる気がする。
人間一個体がハードとしての肉体とソフトとしてのゴーストから構成されてるとして、食欲と性欲がどちらに起因する物であるかは、医学的に証明とかされてるのかな?
義体の場合、脳に酸素さえ供給すれば、少なくとも栄養摂取という理由での食事行為は必要なくなり、食欲は無くなるはずであるが、娯楽としてのサイボーグ食に対し、バトーは「物を食べる記憶が懐かしいから」という理由を、台湾粗食で肉魚を再現する行為になぞらえていた。果たして、それは食欲といえるのだろうか。
性欲の方は、ギノの場合性病にかかって下半身を義体化してたし、現実でも、性器の機能不全等で種の存続という名目で行われる性行為の必要性が無くなれば、性欲は収まるのかどうか分からない。
しかし、ギノは風俗に向かった。少佐の扮する娼婦に対して抱いていた感情は、単なる性欲とは違うもっと高尚なものだったであろうが、金が無いために安い女を買う(ある個人の日記でそう解釈されてた)という行為に走ったし、ホンバンにも入りたがってた所を見ると、あの時の彼は間違いなく性欲を抱いていた。ならば、性行為を必要としない(できない)彼にとって、義体にとっての紛い物である感覚という点で共通しているはずの食欲と性欲に関して、前者のみを拒絶していた理由が分からない。
"ナマ"の臓器で食事をする者への嫉妬ならば分かるが、あの時彼の周囲で食事をしていた描写があったのは、皆サイボーグだったはずである。ということは、彼がトイレで嘔吐したシーンは、食欲・性欲がゴーストに起因するものであるもしくは、自前の臓器で食事をしたい欲求を彼も持ち合わせていたということの証明になるか。

記憶が要求する食事への衝動が食欲とイコールになるか、これが次の考察課題である。もう考察材料ねーけど。

今までの話で、睡眠欲は出てこなかったけど、睡眠が脳を休ませるのに必要な行為だとしたら、サイボーグですら脳殻を持つために睡眠は必須であって、先の食欲・性欲と同様に、その欲が身体機能維持に必要な要素である場合、その箇所が消失した場合に欲も消えるかどうかの考察ができない。
それやろうと思ったら、タチコマがゴースト持ったかどうかをはっきりさせて、その上で彼らが動物同様の三大欲を持つかどうかになるので、まだまだ先は見えてこない。

こういうの妄想してると、沙耶の唄のソーンオフショットガン(笑)が出てくる前までは、哲学タグ付けてもいいような面白い作品だったのにねえ。
いや俺が新井素子廚なだけか。


あれなんの話だったっけ?

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