西園ルート終了。
以下客観性ゼロの思考垂れ流し。
企業のみなさーん、ORCA旅団ですよー。
♪あいむしんか〜とぅ〜とぅ〜とぅ〜とぅとぅ〜
結論から言えば、イイハナシダナーとは思うが、他のルートほどのめり込めはしなかった。淡々と起きるイベントを眺めていたら終わってしまった。
しかしこうやってものを書きたくなっている以上、シナリオのテーマは面白かった。
この手の話は好きである。セカイ系と言ったら乱暴になるか。ファンタジーではなく、しかしSFでもない微妙なライン。ゲットバッカーズの無限城のような感じね。
んで、これはkeyのお家芸だったように思えるんだなこれが。ONEの「永遠の世界」に始まり、AIRでは般若がフェイズアウトしたりクラナドでヒトデ祭りしたりと。
今回のクドで若干そういうのを匂わせてたが、本命はこっちだったと。
ところがこの西園のシナリオ、セリフ回しがkeyにしては論理的すぎるというか、記憶がどうの過去がどうの現実がryって話を聞いていてるうち、攻殻総集編でも見ているかのように思えた。個人的な嗜好が多分に影響しているのは自覚していたが、だからこそシナリオへの感情移入を阻害する要因になった。
というわけで、分析してみる。
別にパクリだとかじゃなくて、どっちも俺の好きな内容なので、蓄えでもって西園シナリオをこう解釈しましたという一例です。
実際、俺は押井作品が好きだが、keyのよく使う演出とかは、劇場版パトレイバー2とか攻殻、イノセンス、アヴァロンなんかに似てる気がする。テーマは若干違うけど、方向性が近いというか。
そして、攻殻が理論的・合理的な要素で構成されてるのに対し、keyはそれこそセカイ系と呼びたくなるような抽象的なパーツを使う。その違いがまた見ていて面白かったんだけど、今回の美魚・美鳥が言っていたことは、映画の少佐や、SSSの傀儡回しと重なる。
美魚→少佐
美鳥→人形遣い、傀儡回し
リキ→バトー+トグサ
恭介→課長(こじつけ)
美魚が自分自身だと語る「本」は、SACでの少佐の腕時計である。
日傘が市販品の外見を持つ義体というのは強引か。作用する方向が逆だな。
リトルバスターズは9課。
海と空の狭間であり、美魚が棺と呼んだ場所はつまり情報の海であり、そこから生まれた美鳥は現実の存在となり、美魚は少佐の如く我々の認知できないどこかへ行った。2ndGIGでクゼが目指した、上部構造へのシフトと取ることもできる。それがリキにとって良い事かどうかは別として。
イノセンスやSSSで、少佐の後を必死に追うバトーの如く、リキは美魚をひたすら探す。
美鳥にヒントを提示されたリキは、美魚の居場所を掴み、海に飛び込んでいく。
リキ=トグサは、SSSにて、娘を走らせ、唯一動く右手でマテバを構え、自分の頭を撃ち抜こうとトリガーを引く。
そこで光学迷彩を解いた少佐が彼を助ける。
少佐「ギリギリのタイミングまで引っ張ってしまった」
美鳥「まったく、最後まで面倒かけるんだから。しょうがないなあ。」
ここだけは美魚と美鳥の役割が攻殻とは逆だが、それは傀儡回しの目的が特殊だったため(無意識に損なわれるゴーストの救済)。シナリオの展開も順序が逆だしね。
傀儡回しと有線する少佐。これはリキの入水前後の会話に相当。
傀儡回しは、これまで多くの意思と並列化を繰り返してきた少佐の、集団的な深層無意識が一人歩きしてできた存在(と俺は解釈してるが合ってるかな?)。
美鳥は、(区別をつけた)子供の妄想(事象の並列化の想像?)を繰り返す美魚に対し、鏡の中からに語りかけてきた存在(深層無意識の独立?)。
傀儡回しは肉体=脳殻の破損を迎える。元々無いのだから、彼を人形遣いと考えるなら、生命体を主張したことにより、一つの自我を持つ概念(ゴーストを持つモノ)であり、美魚が現実のものとして知覚した存在である美鳥と同等である。
美鳥は他人の目に映らなくなる。ここでは、映画で人形遣いと融合した少佐と、傀儡回しが同じような経過を辿る。
傀儡「私は消滅する媒介者となって、次のソサエティに介入していこう。(SSS)」
美鳥「あたしは満たされて、この世界に溶けるの。これからはずっと一緒だよ。」
少佐「バトー、あなたがネットにアクセスするとき、私はいつもあなたの傍にいる。(イノセンス)」
美鳥「お姉ちゃんが、何時までもあたしが傍にいると思う限りは、あたし達はずっと一緒だよ」
映画の少佐は、バトーの言葉を借りるなら、自分の存在を希薄なものに感じてるらしい。実際、内部が特注パーツとはいえ、彼女の使う義体はありふれた市販品と同じ外見であり、周囲からすれば埋没してた存在である。
本質的には違うんだけど、美魚は周囲に友達がいない=社会的には孤立している(攻殻的にはスタンドアローンな状態?)。
そして発生した美鳥という存在が、情報の海から発生した人形遣い、そして少佐のゴーストのスタンドアローンな部分として動き出した傀儡回しであると。
本質的には違うといったけど、劇パト2で押井が提示した都市論やアヴァロンのテーマからすれば、攻殻で言うところの"情報"というのは、実は美魚が言う過去や現実という概念ではないかと思う。
またSSSで傀儡回しがトグサに語った記憶の可変性は、美鳥がリキに問いかけた記憶の性質と同じものである。
実際、傀儡回しが言った「無意識下で絶えず起こる記憶の改変」とは、リキにおける、「数日前の夕食のメニューを思い出せない」「美魚がメガネをかけていたと思い込む」といった現象そのものではないだろうか。
AIRのみちるはまさにそれだし、カノンやってないんだが、多分舞シナリオの魔物もそういう感じだと思うがそれはひとまず置いといて。
ということは、結論として見えたのは、"影"="ゴースト"かな。
元々ゴーストが存在しないはずだった情報の海から人形遣いが発生したように、影を持ち得なかった美鳥が、最後にはリキと美魚に認識される存在になれた。
とか考えると、今度は影を得ようとした美鳥を、タチコマ方面から切り込んでみようとか考え始めるが、それは自重するw
こんな事を考えながらプレイしてたので、このシナリオをやってて感情的になれなかった。
いつものkeyなら、もうちょっと抽象的というか、ぼやけた表現・演出で来てただろうに。そっちをクドに費やしたからこっちでバランス取ったのかな。
・・・リフレインを考え始めたらフロム脳が処理落ちしかねないな。
あー、やっぱ面白かったわwww
これで攻殻の解釈とか違ってたらひどい産業廃棄物なんだけど、中学二年生の思考だから許されるのである。
駄文でした。
以下客観性ゼロの思考垂れ流し。
企業のみなさーん、ORCA旅団ですよー。
♪あいむしんか〜とぅ〜とぅ〜とぅ〜とぅとぅ〜
結論から言えば、イイハナシダナーとは思うが、他のルートほどのめり込めはしなかった。淡々と起きるイベントを眺めていたら終わってしまった。
しかしこうやってものを書きたくなっている以上、シナリオのテーマは面白かった。
この手の話は好きである。セカイ系と言ったら乱暴になるか。ファンタジーではなく、しかしSFでもない微妙なライン。ゲットバッカーズの無限城のような感じね。
んで、これはkeyのお家芸だったように思えるんだなこれが。ONEの「永遠の世界」に始まり、AIRでは般若がフェイズアウトしたりクラナドでヒトデ祭りしたりと。
今回のクドで若干そういうのを匂わせてたが、本命はこっちだったと。
ところがこの西園のシナリオ、セリフ回しがkeyにしては論理的すぎるというか、記憶がどうの過去がどうの現実がryって話を聞いていてるうち、攻殻総集編でも見ているかのように思えた。個人的な嗜好が多分に影響しているのは自覚していたが、だからこそシナリオへの感情移入を阻害する要因になった。
というわけで、分析してみる。
別にパクリだとかじゃなくて、どっちも俺の好きな内容なので、蓄えでもって西園シナリオをこう解釈しましたという一例です。
実際、俺は押井作品が好きだが、keyのよく使う演出とかは、劇場版パトレイバー2とか攻殻、イノセンス、アヴァロンなんかに似てる気がする。テーマは若干違うけど、方向性が近いというか。
そして、攻殻が理論的・合理的な要素で構成されてるのに対し、keyはそれこそセカイ系と呼びたくなるような抽象的なパーツを使う。その違いがまた見ていて面白かったんだけど、今回の美魚・美鳥が言っていたことは、映画の少佐や、SSSの傀儡回しと重なる。
美魚→少佐
美鳥→人形遣い、傀儡回し
リキ→バトー+トグサ
恭介→課長(こじつけ)
美魚が自分自身だと語る「本」は、SACでの少佐の腕時計である。
日傘が市販品の外見を持つ義体というのは強引か。作用する方向が逆だな。
リトルバスターズは9課。
海と空の狭間であり、美魚が棺と呼んだ場所はつまり情報の海であり、そこから生まれた美鳥は現実の存在となり、美魚は少佐の如く我々の認知できないどこかへ行った。2ndGIGでクゼが目指した、上部構造へのシフトと取ることもできる。それがリキにとって良い事かどうかは別として。
イノセンスやSSSで、少佐の後を必死に追うバトーの如く、リキは美魚をひたすら探す。
美鳥にヒントを提示されたリキは、美魚の居場所を掴み、海に飛び込んでいく。
リキ=トグサは、SSSにて、娘を走らせ、唯一動く右手でマテバを構え、自分の頭を撃ち抜こうとトリガーを引く。
そこで光学迷彩を解いた少佐が彼を助ける。
少佐「ギリギリのタイミングまで引っ張ってしまった」
美鳥「まったく、最後まで面倒かけるんだから。しょうがないなあ。」
ここだけは美魚と美鳥の役割が攻殻とは逆だが、それは傀儡回しの目的が特殊だったため(無意識に損なわれるゴーストの救済)。シナリオの展開も順序が逆だしね。
傀儡回しと有線する少佐。これはリキの入水前後の会話に相当。
傀儡回しは、これまで多くの意思と並列化を繰り返してきた少佐の、集団的な深層無意識が一人歩きしてできた存在(と俺は解釈してるが合ってるかな?)。
美鳥は、(区別をつけた)子供の妄想(事象の並列化の想像?)を繰り返す美魚に対し、鏡の中からに語りかけてきた存在(深層無意識の独立?)。
傀儡回しは肉体=脳殻の破損を迎える。元々無いのだから、彼を人形遣いと考えるなら、生命体を主張したことにより、一つの自我を持つ概念(ゴーストを持つモノ)であり、美魚が現実のものとして知覚した存在である美鳥と同等である。
美鳥は他人の目に映らなくなる。ここでは、映画で人形遣いと融合した少佐と、傀儡回しが同じような経過を辿る。
傀儡「私は消滅する媒介者となって、次のソサエティに介入していこう。(SSS)」
美鳥「あたしは満たされて、この世界に溶けるの。これからはずっと一緒だよ。」
少佐「バトー、あなたがネットにアクセスするとき、私はいつもあなたの傍にいる。(イノセンス)」
美鳥「お姉ちゃんが、何時までもあたしが傍にいると思う限りは、あたし達はずっと一緒だよ」
映画の少佐は、バトーの言葉を借りるなら、自分の存在を希薄なものに感じてるらしい。実際、内部が特注パーツとはいえ、彼女の使う義体はありふれた市販品と同じ外見であり、周囲からすれば埋没してた存在である。
本質的には違うんだけど、美魚は周囲に友達がいない=社会的には孤立している(攻殻的にはスタンドアローンな状態?)。
そして発生した美鳥という存在が、情報の海から発生した人形遣い、そして少佐のゴーストのスタンドアローンな部分として動き出した傀儡回しであると。
本質的には違うといったけど、劇パト2で押井が提示した都市論やアヴァロンのテーマからすれば、攻殻で言うところの"情報"というのは、実は美魚が言う過去や現実という概念ではないかと思う。
またSSSで傀儡回しがトグサに語った記憶の可変性は、美鳥がリキに問いかけた記憶の性質と同じものである。
実際、傀儡回しが言った「無意識下で絶えず起こる記憶の改変」とは、リキにおける、「数日前の夕食のメニューを思い出せない」「美魚がメガネをかけていたと思い込む」といった現象そのものではないだろうか。
AIRのみちるはまさにそれだし、カノンやってないんだが、多分舞シナリオの魔物もそういう感じだと思うがそれはひとまず置いといて。
ということは、結論として見えたのは、"影"="ゴースト"かな。
元々ゴーストが存在しないはずだった情報の海から人形遣いが発生したように、影を持ち得なかった美鳥が、最後にはリキと美魚に認識される存在になれた。
とか考えると、今度は影を得ようとした美鳥を、タチコマ方面から切り込んでみようとか考え始めるが、それは自重するw
こんな事を考えながらプレイしてたので、このシナリオをやってて感情的になれなかった。
いつものkeyなら、もうちょっと抽象的というか、ぼやけた表現・演出で来てただろうに。そっちをクドに費やしたからこっちでバランス取ったのかな。
・・・リフレインを考え始めたらフロム脳が処理落ちしかねないな。
あー、やっぱ面白かったわwww
これで攻殻の解釈とか違ってたらひどい産業廃棄物なんだけど、中学二年生の思考だから許されるのである。
駄文でした。
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